3 肺高血圧症例に対する妊娠・出産時の治療ガイドライン
① 避妊と中絶

 基本的には,肺高血圧症例では妊娠を忌避することが強く推奨され,確実な避妊を行い,仮に妊娠した場合には必要により早期の中絶処置を行うことを考慮する223).妊娠時には,肺高血圧症の重症度の高い妊婦が必ずしも予後不良とは限らない.危険性を十分認識した上で妊娠を継続する場合には,適切な時期に入院し,専門チームの十分な監視下に出産に臨むことが必須となる.循環動態の不安定化や呼吸不全が進行した場合には,適切な時期の帝王切開を考慮する(「妊娠継続の可否の判断」参照).ただし,これまでの報告では,必要措置を行っても肺高血圧症例での極めて高率の妊産婦死亡は改善されていない.

② 生活制限

 心血管系への過負荷を避ける目的で,心拍出量の増大を来たす過度の運動は避ける必要がある.妊娠子宮による下大静脈の圧迫を避けるために,安静時は左側臥位を試みる.

③ 酸素吸入

 正常妊婦の動脈血酸素分圧(PaO2)は100mmHg 以上に保たれている.動脈血酸素分圧が70mmHg 以下では,子宮内胎児発育不全が生じることが報告されているため,肺高血圧症合併妊娠例でも,動脈血酸素分圧を70mmHg以上に保つよう酸素吸入を続行することが必要とされている.

④ 薬物療法

 肺高血圧症の妊婦に対する薬物療法(特に肺血管拡張薬)の使用の報告は少なく,十分なエビデンスは存在しない.一般論として,薬物療法の限界が近づいた場合は,妊娠週数によって,人工妊娠中絶,または,分娩への移行が推奨される(「妊娠継続可否の判断」や,下段の「分娩時期」を参照).中等症以上の肺高血圧症の妊婦では,分娩後の病状悪化の可能性も十分あるため,授乳を断念することも検討する.個々の薬物療法の詳細については,「弁膜症」─「抗凝固・抗血小板療法」「抗心不全治療」の項なども参照されたい.

1)利尿薬
 肺高血圧症患者で右心不全が悪化した場合は,利尿薬の処方が避けられない場合がある.ループ利尿薬のトラセミドやフロセミドが推奨される.スピロノラクトンは
抗アンドロジェン作用を持つことから推奨されない.

2)抗凝固療法
 妊娠中(特に妊娠後期)は,出産時の出血に対応するため過凝固の状態にあるとされ,これは肺高血圧に対する増悪因子となる.また,静脈血栓症の危険性も6〜10倍となると考えられている.Eisenmenger症候群では奇異性塞栓の危険性も増加する.以上より,通常は抗凝固療法が推奨されるが,妊娠中や分娩時において,母体・胎児双方に致命的となる出血のリスクも増加するため,抗凝固療法の可否については意見の一致がみられていない.海外では低分子ヘパリンが使用されているが,用量・用法は標準化されていない.ワルファリンは,授乳中の新生児への悪影響はないと考えられている.肺高血圧症患者では出産後も母体の病状悪化や急変があり,肺血栓塞栓症の関与も想定されているので,出産後も2〜6か月は抗凝固療法の継続が必要とされている.

3)肺血管拡張薬
 肺高血圧症に有効な治療が行われ始めたのは1995年以降で,肺高血圧症合併妊娠例の治療成績についてはまだ十分なエビデンスはない.海外では重症例にエポプロステノールを使用して出産に成功した例が報告されている.ボセンタンは動物実験で催奇形性が報告され,妊婦の肺高血圧症治療には適さない.シルデナフィルについては,動物実験では安全性が示されているが,ヒトについてはエビデンスが少ない223)

⑤ 周産期の治療

 通常,肺高血圧症合併妊娠では,妊娠16週頃より安静強化が必要なる場合が多いとされているが,病状悪化や子宮収縮が生じた場合には,より早期の入院が必要である.種々の内科治療と,心電図や経皮的動脈血酸素飽和度(SpO2)の監視が必要であり,動脈圧や肺動脈圧の観血的な計測も必要となる場合がある.輸液は最小限となるよう注意する223)

⑥ 分娩時期

 分娩時期は母体と胎児の状況によって決定される.妊娠22週以降は胎児の生存が可能な場合がある.そこで妊娠22週までに母体の病状が悪化した場合には妊娠中絶を考慮する(海外のガイドラインでは24週との記載もある).比較的安定して妊娠が継続した場合には,母体と胎児の状態を観察しつつ,分娩の至適時期を判
断する.母体の病状が進行性の場合は,早期の分娩を提案する.妊娠34週以降の分娩では,新生児の予後と生育はほぼ正常であることが期待できるが,妊娠期間が長くなるほど母体の危険性も増加する.しかしながら,より早期に分娩すれば,分娩直後の母体の病状がより安定しやすいか否かは定かではない.肺高血圧例では出産直後に死亡事故が多いため,1 週間程度は集中治療室で十分な監視が必要である.急変時には蘇生が不可能な場合があることを,本人・家族に十分周知しておく必要がある.

⑦ 分娩様式と麻酔

 分娩様式(帝王切開,経腟分娩)と麻酔様式(全身麻酔,局所麻酔)は,どの組み合わせについても成績に差はないとの報告がある224).一般に肺高血圧症例では早産の場合が多く,この場合は出産時間が長くなり,緊急帝王切開が必要になることが多い.このため,準備を整えた予定手術が望ましい.麻酔は全身麻酔より負担の少ない局所麻酔(硬膜外麻酔,または脊髄麻酔の併用)が好まれる.

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心疾患患者の妊娠・出産の適応、管理に関するガイドライン(2010年改訂版)
Guidelines for Indication and Management of Pregnancy and Delivery in Women with Heart Disease (JCS 2010)