1 肥大型心筋症
① 概要

 肥大型心筋症の有病率は10万人当たり17.3〜374人と報告されており273),274),まれな心疾患ではない.また,女性患者のうち40歳以下の若年症例が約15%を占める273)ことなどから,妊婦に肥大型心筋症が潜在的に合併している可能性は少なくない.

 肥大型心筋症合併妊娠では,循環血漿量の増加と体血管抵抗の低下により,左室流出路収縮期圧較差が増大するため,僧帽弁逆流も増強し,うっ血性心不全を発症することが危惧される.しかし,実際には妊娠前に胸痛,労作時呼吸困難,失神などの症状を有する例でも,これらの症状が悪化することは少なく,逆に妊娠により胸部症状が軽快する例もあり,大部分の例は妊娠に耐え得る275),276).肥大型心筋症合併妊娠でも,うっ血性心不全,脳血管障害の合併は多くないとされてはいるが,特に家族歴を有する肥大型心筋症合併妊婦では,心血管イベントによる入院が多いとする報告もある277).うっ血性心不全,狭心痛,心房細動などの臨床症状を発症した症例は,各種の治療に対して反応しにくい278)( レベルB).閉塞性肥大型心筋症では,感染性心内膜炎のリスクが高いため,産科的手術・処置,分娩の際の予防投与を推奨する(レベルC,「感染性心内膜炎」参照).

② リスク要因

 35歳以下の若年者において,突然死の発症があることが知られているが,実際にはその頻度は低い275),276)(レベルB).しかしながら,最大壁厚30mm以上,心停止および持続性心室頻拍の既往,反復性の失神,突然死の家族歴などはハイリスクグループとされ,このような場合は妊娠・出産の適否について慎重に検討する必要がある276)(レベルC).

③ 対応

 胸部症状が出現した場合には入院安静として,それでも症状が持続する場合には,β遮断薬の投与を開始する275),276),278).心房細動に対しては直流除細動を行う.心室頻拍に対しては母体の救命を第一にアミオダロンを投与するが275),胎児への影響が大きい(「妊娠中の薬物療法」参照).妊娠後期にカテーテル・アブレーション,DDDペースメーカの植え込み279),植込み型除細動器の植え込み280)の後に出産した報告もある.

 一般には経腟分娩が可能であるが,分娩時には静脈還流を低下させる体位や怒責はなるべく避ける必要があり281),呼吸・循環の悪化がみられるか強く予想されるときには,帝王切開も選択し得る275)(レベルC).多量の出血や子宮収縮薬の使用などの際には,母体と胎児の循環動態のモニターを行う(「胎児評価法」参照).降圧が必要な場合は,一般にはヒドララジンが第一選択である.降圧薬については高血圧の項参照280)(レベルC).

 分娩時の硬膜外麻酔によって,静脈還流の減少,左室充満圧の低下,左室流出路圧較差の増強などを介して血圧低下が生じるため280),厳重な循環動態の管理を要する(レベルC).超音波ドプラ法は,出産時の左室流出路圧較差の評価として有用である282)(レベルC).
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心疾患患者の妊娠・出産の適応、管理に関するガイドライン(2010年改訂版)
Guidelines for Indication and Management of Pregnancy and Delivery in Women with Heart Disease (JCS 2010)