母児ともに低リスク母児ともに高リスク
大動脈弁狭窄症無症候性左室機能正常
平均圧較差<25mmHg弁口面積>1.5cm2
重度狭窄重度肺高血圧合併左室機能低下
大動脈弁逆流症NYHA心機能分類Ⅰ~Ⅱ度
左室機能正常NYHA心機能分類Ⅲ~Ⅳ度
重度肺高血圧合併左室機能低下僧帽弁狭窄症
重度の肺高血圧合併なし
弁口面積>1.5cm2圧較差<5mmHg
NYHA心機能分類Ⅱ~Ⅳ度
重度肺高血圧合併左室機能低下
僧帽弁逆流症NYHA心機能分類Ⅰ~Ⅱ度
左室機能正常NYHA心機能分類Ⅲ~Ⅳ度
重度肺高血圧合併左室機能低下
僧帽弁逸脱症僧帽弁逆流なし
  または軽─中等度の僧帽弁逆流あるも左室機能正常
肺動脈弁狭窄症軽─中等度狭窄
◦母児への高リスク
   重度肺高血圧合併(肺動脈圧が体血圧の75%以上)
   左室機能低下(左室駆出率<40%)
   抗凝固療法を必要とする機械弁置換術後
   Marfan症候群
◦母児への低リスク
   左室機能正常(LVEF >50%)(文献1参照)
1 弁膜症と人工弁置換術後
① はじめに

 わが国では小児期のリウマチ熱はほとんどみられなくなり,結果として妊娠・出産可能な年齢のリウマチ性弁膜症の患者は極めて少なくなった.一方,先天性心疾
患患者,特に術後患者において,弁逆流や弁狭窄を残存した例の管理が重要となってきている.これら先天性心疾患術後の弁膜症患者では,単独の弁膜症として病態を把握するよりも,基礎疾患(房室中隔欠損症や単心室形態など)の合併病変として病態を把握する必要がある.弁膜症患者の妊娠に関しては,証拠レベルの高いランダム化比較研究はなく,症例報告または観察研究の報告があるのみで,ACC/AHA task forceの弁膜症ガイドライン60),ESC task force の弁膜症ガイドライン225),およびスペイン心臓病学会の心疾患の妊娠ガイドライン58)の中に記載がある.

 妊娠中は生理的に循環血漿量が40〜50%増加し,心拍出量も増加し,心拍数も10〜20/分増加する.これらの変化は妊娠第1期から徐々に始まる.総論に述べたように,妊娠中にはエストロゲンやエラスターゼの影響で血管壁の構造にも明らかな変化が生じ,その脆弱性が増す.一方,娩出中は子宮が収縮し,血圧も上昇するなど循環器系へ与える影響も大きい(「妊娠・分娩の循環生理」参照).これらの影響は,逆流症か狭窄症か,またどの弁かによって異なってくる.

② 概要

 心臓超音波検査などで,妊娠前の弁膜症の状態を可能な限り評価しておく必要がある.循環動態,肺高血圧症の程度,弁の状態などの評価は必須である.BNP値は弁膜症の重症度評価に有用であり,妊娠前および妊娠経過中の心負荷の指標となる可能性がある.現病歴の聴取の際に,患者の運動能力,心不全の病歴の有無,随伴する不整脈の状態などについて,詳しく聞くことが必要である.

 一般に,弁逆流性疾患は,弁狭窄性疾患と比べ,妊娠に耐容しやすいとされる.重症大動脈弁狭窄,大動脈弁または僧帽弁逆流でNYHA分類ⅢまたはⅣ度,僧帽弁狭窄症で明らかな症状のあるもの,肺高血圧(肺動脈圧が体血圧の75%以上),左室駆出率<40%,機械弁置換術後,Marfan症候群(大動脈弁逆流の有無に関係なし)は,妊娠・出産における母体と胎児双方のリスクが高いとされる58),60).上に述べた病態以外では,妊娠・出産は比較的安全とされている(表23)

 先天性・後天性の弁膜症(人工弁置換術後を含む)は,弁逆流を伴わない僧帽弁逸脱を除いて,感染性心内膜炎のリスクが高いと考えられる.これらの疾患においては,産科的手術・手技や分娩時において,予防投薬が推奨される(「感染性心内膜炎」参照).

1)リウマチ性僧帽弁狭窄症
 弁口面積< 1.5cm2,または,NYHA心機能分類の悪い例はハイリスクであり,NYHA分類Ⅳ度では母体の死亡率30%との報告がある226)

 軽症で症状が比較的軽い場合は,利尿薬を中心とした内科的治療を行う.また,塩分制限や安静も必要である.心拍数を減少させるためにβ遮断薬の使用も考慮される227).ただし,β遮断薬は胎児の胎内発育不全,徐脈,低血糖,子宮収縮を起こす可能性が危惧されるため,その適応は慎重に判断し,もし使用する場合には,可能な限り低用量から使用を開始し,血中濃度をモニターすることが望ましい.

 妊娠前から心房細動がある場合は,全身性血栓塞栓症のリスクが高いため,抗凝固療法を妊娠前から妊娠全期間を通して行う必要がある(「弁膜症」─「抗凝固・抗血小板療法」参照).妊娠後に初めて心房細動に移行した場合は,心拍数コントロールの目的でβ遮断薬またはジゴキシンが用いられる.洞調律への復帰が期待されるときには,プロカインアミドが用いられる228).効果がない場合には,直流除細動を行う.経食道心臓超音波検査を用いた左心耳内血栓の評価は,妊娠前より実施する必要がある.近年,カテーテル・アブレーションの技術が進歩したため,可能な限り妊娠前にカテーテル・アブレーションの適応を検討することが望ましい.

 中等度以上の狭窄の場合(弁口面積< 1.0cm2)は,弁病変の形態が適しているならば,妊娠前に僧帽弁のバルーン形成術(もしくは手術による交連切開術)を考慮する.妊娠中に僧帽弁狭窄が進行した例でのバルーン形成術の報告もある.

 ハイリスク症例の場合は,抗凝固療法を行っていない場合に限り,硬膜外麻酔による分娩が勧められる.さらに,分娩前よりSwan-Ganz カテーテルを挿入し,循環
動態をモニタリングすることが推奨される229)

2)僧帽弁逆流症
 今日の日本では,妊娠可能年齢の女性の僧帽弁逆流症の多くは,僧帽弁逸脱症が原因である.僧帽弁逆流症の場合は,妊娠により体血管抵抗が減少することより,多くの場合は妊娠に耐容可能である.症候性の僧帽弁逆流症患者で,逆流の原因が僧帽弁逸脱症の場合は,僧帽弁形成術によって改善することも多いので,妊娠前に手術を受けることが推奨される.

 肺うっ血などの症状があれば利尿薬を投与し,高血圧があればヒドララジンで対処する.アンジオテンシン変換酵素阻害薬は,胎児毒性と催奇形性の可能性があるため,妊娠中の使用は避けることが望ましい230).腱索断裂による急性増悪の場合には,緊急手術による腱索修復が必要である.

3)大動脈弁狭窄症
 「先天性心疾患」─「非チアノーゼ性心疾患(非手術例または修復術後)」-「先天性大動脈弁狭窄症」の項を参照.

4)大動脈弁逆流症
 大動脈弁逆流症の原因には,Marfan症候群による弁輪拡大,大動脈二尖弁,感染性心内膜炎による弁破壊などがある.妊娠に伴って全身血管抵抗が低下するため,無症状の大動脈弁逆流症は,多くの場合,妊娠に耐容可能である.薬物治療としては,利尿薬やヒドララジンなどの血管拡張薬が使用される.妊娠中のアンジオテンシン変換酵素阻害薬の使用は,避けることが望ましい230)

 左室機能の低下している大動脈弁逆流症の場合は,妊娠のリスクは高まる.Marfan症候群の場合は,妊娠中に急激な大動脈解離を生じることもあるので,妊娠継続には慎重な判断が必要である(「大動脈疾患」-「Marfan症候群」参照).

5)肺動脈弁狭窄症
 無症状の肺動脈弁狭窄症の場合は,妊娠・出産が通常可能である.狭窄程度の増悪のために,妊娠中にバルーン弁形成術が施行された報告がある.妊娠中,心臓超音波検査による肺動脈血流評価は困難になることが多いため,三尖弁逆流波形の計測による推定右室圧で判断する必要もある.
表23 母児のリスクから分類した妊娠と弁膜症ガイドライン
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心疾患患者の妊娠・出産の適応、管理に関するガイドライン(2010年改訂版)
Guidelines for Indication and Management of Pregnancy and Delivery in Women with Heart Disease (JCS 2010)